リンゴ・スターの息子、ザック・スターキーは1965年9月13日、ロンドンのハマースミス区に生まれた。
母親はリンゴの元妻、モーリン・コックス。
リンゴはその人柄ゆえ、ミュージシャン関係との交友も幅広かった。
その中の一人にザ・フーのドラマー、キース・ムーンがいた。
目次
リンゴの息子とキース・ムーン
キースはザックのことをとても可愛がり、ザックも「キースおじさん!」ととても慕っていたようだ。
キース・ムーンは、ビートルズではリンゴだけでなく、ジョンとも親交が深かったようだ。
ジョン・レノンのロスアンゼルスの「失われた週末」時代は、ジョンとキースはよく酒を飲み、パブで大騒ぎをしていたようだ。
キース・ムーンは、その破廉恥で乱暴の行動だけがマスコミにクローズアップされて、まるで狂人のように報道されていたが、彼の素顔は心優しく、友人を大切にする人情的な男だった。
キース・ムーンと交友のあったミュージシャンの中で、彼のことを悪く言う人はいない。
ただ薬物の使用で、時々はなんともならない時もあったようだけど。
ザ・フーのライブにおいては、失神してしまい、ライブを続行するために客席からドラマーを選び、ドラムを叩かせるようなこともあった。
ポール・マッカートニーも大好きなドラマーベスト3の中に、キース・ムーンをあげている。
他の2人は、ジョン・ボーナムとリンゴ・スターだ。
リンゴの息子、ザック・スターキーのバンド歴
1980年代、プロドラマーとしてのキャリアを踏み出したようだが、主だった活動はなかった。
1990年代に入り、リンゴ・スターのツアーバンド、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加。
1995年には初来日している。
ドラミングのスタイルは、「大好きだったおじさん」キース・ムーンの影響が大きい。
1995年の来日時も、バンドメンバーだったザ・フーのジョン・エントウィッスルが歌う「マイワイフ」のエンディングではキース・ムーンばりのドラミングを披露していた。
その縁もあってか、1990年代後半からはザ・フーのサポートメンバーとしてプレイするようになる。
2004年には、日本で行われたTHE ROCK ODYSSEY 2004にザ・フーの記念すべき初来日のドラマーとしてステージに立った。
その前後くらいから、オアシスのサポートドラマーとしても参加しはじめていた。
契約上、どのようになっていたのか僕が知る由もないが、ピート・タウンゼントは予定しているザ・フーのリハーサルに顔を出さず、オアシスのツアーに参加しようとするザックに相当腹を立てていた時期もあったみたいだ。
日本人の年功序列的な意識で考えれば、ピート・タウンゼントを立てなければならないし、優先順位としてもピートが先だと私は思う。
その後もオアシスとザ・フーのサポートを中心に活動を続け、それぞれのレコーディングにも参加している。
ザック・スターキーのドラミング
先にも述べたが、ザックのドラミングはキース・ムーンの影響が大きい。
だから、ザ・フーのサポートドラマーとしても選ばれたのだと思う。
しかし、ドラミングのフレーズ的な部分で言えば、確かにザックはキース・ムーンのそれを踏襲したスタイルでプレイしているし、再現している。
しかし、ザックとキースのビート感は異なる。
ザ・フーの初期の頃のキースはとても前ノリで攻撃的なビートを叩き出している。
キースの晩年は、ドラッグのやりすぎでドラムのたたく機会もなくし、練習不足による緩慢なビートになっている時もあったが、「Who Are You」では前ノリで素晴らしいドラミングをみせてくれた。
それに対してザックのドラミングは、やや後ノリでビートのテンションが低い。
もちろんキースの影響が大きいから、それっぽい演奏をするけれど、ビートのテンションの低さが問題だ。
例えば「I Can’t Explain」を演奏しても、ザ・フーのバージョンが体に浸透しているファンとしては、ピートタウンゼントの強力なカッティングと、それを主導するキースの強烈なビート感と比べると違和感を感じるのではないだろうか?
THE ROCK ODYSSEY 2004では、ザ・フーのドラマーとして高い評価を受けたらしいけど、ドラマーであり、ザ・フーのファンであり、キース・ムーンを敬愛する私としてはそうは思わない。
フィルインとかの手数と雰囲気だけで言えば、キースを再現しているのかもしれない。
しかし、一番大事なことはビート。
そしてエモーション、テンションだ。
ザ・フーはその後もザックをサポートメンバーとして起用をつづけた。
ピート・タウンゼントとしては、リンゴとの付き合いもあり、彼の息子がザ・フーでプレイしていることに意義を感じていたのかもしれない。
ザ・フーのアルバムでは「エンドレス・ワイヤー」(2006年)に1曲だけ参加している。
もちろんこれらは、あくまでもコアなファン目線での意見だ。
ザ・フーファンで、キース・ムーンのプレイが大好きだから、どうしてもそれと同じものを求めてしまうのだ。
オアシスではハマったザックのドラム
ザ・フーに対して、オアシスでのザックのドラムはマッチングしていると思う。
それは、オアシスの曲調による部分が大きい。
どちらかと言えば、オアシスの楽曲はゆったり感がある。
アップテンポの曲でも、ツッコミ気味のビート感ではない。
どこか大らかさがある。
ノエルのギターもピートの攻撃的なカッティングとは対照的だ。
リアムのボーカルスタイルもルーズ感がある。
その曲調、ノエルのギター、リアムのボーカルスタイルとザックのビートはとてもいいコンビネーションだ。
おそらくオアシスのメンバーも、そう感じていたのだろう。
だからザックは、オアシスのサポートを長い間つとめ、何枚かのアルバムにも参加したのだと思う。
ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース(2005年)
ディグ・アウト・ユア・ソウル (2008年)
ザ・フーに最もハマるドラマーとは
「ザ・フーにはザックのドラムは物足りない。」
「ピートのノリとザックのビートはあわない。」
などとを書いてきた。
「じゃあ誰なら、ザ・フーのドラムに適任なのか?」
そんなツッコミも入りそうなので、私なりにザ・フーのベストなドラマーを紹介したい。
それは、元ブランキージェットシティの中村達也だ。
ちょっと唐突ではあるが・・・。
中村達也のドラミングは日本人離れしている。
日本人であのようなパワフルでスリリングなドラムをたたくドラマーはいない。
間違いなくいない。
ブランキージェットシティ解散後、布袋寅泰やSuperflyなどの著名なミュージシャンやアーティストと共演しているのは納得できる。
布袋寅泰は、中村達也のドラムを聞いて、大きく心を揺さぶられるものがあったのではないだろうか?
僕は中村達也とは同郷(名古屋)で彼が高校生のころからそのドラミングを目の当たりにしてきた。
その当時から、規格外のドラミングだった。
モノが違う。
違いすぎる。
ザ・フーは最近、主だった活動はしていないようだが、また世界中をツアーして回るなら中村達也をドラマーとして迎えてほしい。
だれか遠いイギリスまで、ピートまで伝えてほしい。
中村達也のことを。
今後のザック・スターキーに期待!
リンゴスターの息子、ザック・スターキーのことをドラマーの視点で書いてみました。
ザックのことを一番羨ましく思うことは、お父さんの交友範囲の広さから出会うことになるミュージシャンたちだ。
その中の一人にキース・ムーンがいたことはとてもラッキーだし、羨ましく思う。
このことはジョージの息子、ダニー・ハリスンにも言える。
一流のミュージシャンたちと子どものころから接することで、ものすごい価値を身につけることができなのではないだろうか。
もちろん音楽的、バンド的な意味で。
最近はザックの活動は少し地味なようだけど、またどこかのビックネームと共演することを期待しています。
ザックのお父さん、リンゴ・スターのこともこちらで書いています。