サイケなビートルズ、それはリボルバーからはじまった。
世界中のティーンエイジャーたちを虜にして世界を席巻したビートルズ。
人気だけでなく、楽曲に現れるその作曲センスの高さにも世界は注目していた。
デビューから1963年くらいまで、ビートルズのヒットソングは1曲2分も演奏時間がない曲も多かった。
そして、徐々に作曲技術の向上により、曲調の変化もあらわれ演奏時間も長くなっていった。
そのような変化の中、ビートルズはサイケデリックな楽曲も書くようになった。
目次
リボルバーからはじまったビートルズのサイケ
アルバムのクォリティーはラバーソウルから格段にレベルアップしていた。
1966年に発表されたシングルには、すでにサイケデリックの予兆もある。
「Rain」での逆回転がそれだ。
そしてその延長にあるのがリボルバー。
リボルバーには、ビートルズのサイケデリックがはじまったことを象徴する曲がいくつかある。
一番重要な曲は「Tommrow Never Knows」だ。
コードは1コードで「C」。
曲の雰囲気はインド音楽を彷彿させる。
ジョンによると、「チベット死者の書」がヒントで、タイトルはリンゴが考えたらしい。
「ダライ・ラマがエベレストの頂上から叫んでいるような声にしたい。」
というジョンの突拍子もないリクエスト。
カモメのような鳴き声は、スタジオで偶然録音されたジョージのくしゃみが元になり、逆回転、テープスピードの変化なので加工されたものだ。
そしてリンゴの変則的なタムを加えた8ビート。
これらの要素が見事に融合されてサイケデリックな作品になっている。
ソフトドラッグからはじまった
ビートルズをサイケデリックな世界へと誘導したのは間違いなくドラッグだ。
1964年のアメリカツアーで、ボブ・ディランからソフトドラッグを初体験してからは、普段から楽しむようになり、レコーディングスタジオでも、ジョージ・マーティンの目を盗んでは吸い続けていた。
リボルバーに収められている「And Your Bird Can Sing」の別バージョンがCDビートルズアンソロジー2に収録されているが、コーラスの途中で笑い転げる3人は、まさにソフトドラックの影響と考えていいだろう。
プローモーションビデオもサイケに!
そしてさらに1ランクアップさせたのが、所謂サイケデリックドラッグだ。
LSDは当時禁止薬物ではなく合法だった。
ロンドンでは富裕層の間で流行していたようだ。
ビートルズではじめてサイケデリックドラッグを経験したのがジョンとジョージ。
それぞれ、パティーとシンシアをともなって、とある歯科医の自宅でのパーティーが最初のようだ。
そのあとナイトクラブに行き、
「エレベーターの赤色灯を見て火事だと思った!」
とその時のインパクトをジョンとジョージは語っている。
「普通に時間がすぎる中で、突然クレージーになる。」
このような体験が、Strawberry Fields Foreverのプロモーションビデオにもあらわれている。
Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band
リボルバーの後、Strawberry Fields Foreverのシングルを挟み、世紀のアルバム「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」がリリース。
このアルバムにもサイケなアレンジが数を多くみられる。
もっとも目立っているサイケデリックなアレンジはBeing for the Benefit of Mr. Kitだろう。
不規則に繋ぎ合わせたテープループがサイケな雰囲気を際立たせている。
Within You Without Youはインド音楽だ。
ジョージ・ハリスンの楽曲の中でも、最もレベルの高い曲の一つだ。
当時のサイケデリックなシーンではインド音楽、とくにシタールは重要なアイテムだった。
元々ジョージはシタールを1965年頃に中古品を購入していたが、弾き方がわからずに放置していた。
しかし、アルバム「ラバーソウル」のNorwegian Woodのアレンジで使用し、「リボルバー」のLove You To自らの作品で取り入れ、このWithin You Without Youで見事にインド音楽として昇華させていったのだ。
ビートルズのサイケ集大成「マジカルミステリーツアー」
そして1967年12月26日にイギリスBBCテレビでクリスマスにオンエアーされた「マジカルミステリーツアー」だ。
ビートルズがテレビ映画を製作して放送するという企画に、世界中が注目していた。
視聴率も75パーセントを記録。
しかし視聴者から賞賛の声は聞かれなかった。
評論家からは悪評ばかり。
「ビートルズも失敗する。」
と世間の人々は思った。
しかし、このテレビ映画「マジカルミステリーツアー」はサイケデリアの傑作である。
当時の人々から評価されなかったのも理解できる。
映画というものにはストーリーがある。
しかし「マジカルミステリーツアー」にはストーリーがない。
元々そのようなコンセプトはなく、
「撮影に出かけて何かあった出来事を撮る。」
というスタンスがコンセプトだ。
基本的にワンシーン、ワンシーンには意味がない。
意味がない上に、奇妙でまるで夢の中がキャプチャーされているようなシーンが連続する。
非日常的な世界があらわれる。
有り得ない、だけど笑える。
平凡なシーンから突然クレイジーな展開。
これはまさにサイケデリックだ。
マジカルミステリーツアーはビートルズサイケの傑作
サウンド・トラックは英国オリジナルでは2枚組EP6曲入りという変則的なかたちでリリースされた。
その中でも
I Am the Walrus
Flying
Blue Jay Way
はサイケな楽曲で素晴らしい作品。
映画の中でも重要なシーンになっている。
ポールが最もサイケデリック
一般的にはジョンが最もサイケだと思われているが、実は違う。
ただ、ジョンはサイケデリックなドラッグが大好きだったことは事実。
シンシア・レノンの書籍には、ジョンがLSDのパーティーを楽しみにしていたこと、嫌がるシンシアにも強要していことが書かれている。
それに対して、ポールは臆病だった。
本人もサイケデリックなドラッグに対しては抵抗が大きかったことをインタビューで語っている。
しかし、音楽的にもっともサイケだったのはポールだ。
ジョンはサイケを楽しむ。
ポールはサイケを作り出す。
そんな位置付けも感じる。
ポールが当時住んでいたロンドンの自宅では、いろんな著名人が集まり、その中にはアバンギャルドな人たちもいた。
そんな人たちの趣向にポールは興味を持ち、共有しようとしていた。
1本のテープをハサミで切ってバラバラにして、テープループを作ったのもビートルズではポールがはじめて。
いろんな音楽や文化のスタイルを貪欲に追求していった結果、ポールがもっともサイケな世界に行き着いたのかもしれない。
映画マジカルミステリーツアーもポールのアイデアと指揮がメインとなっている。
音楽シーンがサイケだった60年代後半
1966年頃から、音楽シーンはサイケデリアに傾倒して行く。
時代を牽引していたアーティストたち、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、クリーム、ローリングストーンズらは皆サイケデリアを音楽に反映していった。
そしてサイケは様々なカルチャーも生み出した。
ヒッピーはその象徴ではないだろうか。
そんな世の中がサイケデリックに傾倒、心頭して行く中にもビートルズはその中心にいた。
すばらしい楽曲やアルバムを発表したり、その音楽的な才能を持ち合わせながら、ビートルズは常に時代の先端にいた。
これは、とんでもなく凄いことだと思う。