ビートルズファンの間では5人目のビートルズとして知られているピート・ベスト。
ファンの中では5人目のビートルズはジョージ・マーティンをあげる人も多い。
ビートルズのメンバーで最もイケメンで人気のあったピート・ベストがなぜビートルズを辞めなかればならなかったのか?
諸説はいろいろあるけれど、管理人の元バンドマン(ドラマー)としての目線で、メンバーから切り捨てられた側面を推測してみた。
目次
ピートベストとは
ピートベストは1941年11月25日インドのマドラスで生まれた。
1941年生まれなので、ジョン・レノンよりは1歳年上、ポール、ジョージは1歳年下になる。
ピートが4歳の時にリヴァプールに帰国。
1954年に母親のモナが競馬で超万馬券を当て、そのお金でリヴァプール郊外に屋敷を購入。
1957に屋敷の地下を改造して「カスパ・コーヒークラブ」をオープンした。
オープニングイベントにはクオリーメンも出演している。
ピートとジョン、ポール、ジョージとが出会ったのは、この頃だと推測できる。
またピートがドラムをはじめたのも、この頃といわれている。
ピートベストビートルズに参加
1960年8月、ハンブルグ公演の前にドラマーを探していたビートルズは、ポールがピートに電話をかけてバンドへのオファーをした。
そしてビートルズの一員となったピートは、ハンブルグ公演にむかい、それから2年間ビートルズのメンバーとして活躍する。
この2年間は、ビートルズがバンドとして注目され、人気も上がり1963年のビックバンに向かう軌道に乗りはじめた重要な時期である。
ピートベストの演奏スタイル
ピート・ベストのドラムスタイルのことを語る前にドラマーにおける重要なことを書いておきたい。
ドラマーにとって最も重要なことは「ビート」「ビート感」である。
このビート感は持って生まれたもので、人間の顔がそれぞれ違うのと同じことだ。
もう少し踏み込むと、人種によってもビート感は異なる。
ビート感を変えたくても無理である。
どれだけ練習をしても、どれだけ努力をしても変えようのないのがビートである。
シンプルにいうとビート感は2つ。
「軽い」「重い」のどちらかだ。
言い換えると、「前ノリ」「後ノリ」である。
現存しているビートルズ時代(シルヴァービートルズ名義)の音源を聴くと、ピートのドラムは「重い」「後ノリ」部類に入る。
ピートのビートは、他の3人とはあっていない
後ノリ、重いビートは悪いことは全くない。
特にハードロック系のバンドでは後ノリのドラマーが多い。
ただバンドとしてのスタイル、またはドラマー以外のメンバーがどのように演奏したいかが問題になる。
後ノリでおおらかなビートで演奏がしたいのであれば、重いビートのドラマーが選ばれるだろう。
しかし、ビートルズの場合、この頃のジョンのカッティングプレイ、ポールのベースプレイ、演奏される楽曲を聞く限りは「前ノリ」の方があっていると思う。
なぜビートルズをクビになったのか?
本当はもっと前がかりで、突っ込んで演奏したいのに、ピートのドラムがゆったりとした後ノリだから、
「前に行きたくても前に突っ込んで演奏できない!」
ジョン、ポール、ジョージはそんな不満をもっていたのではないだろうか。
また、テクニック的な技量までは何とも言えないが、フィルインにおけるスネアの16分音符は、淡々としている。
サビ前のフィルは状況にもよるが、ボーカリストをはじめバックのプレイヤーの感情を盛り上げる役割がある。
そこを淡々と叩かれると、気持ちが乗りづらい。
(余談ではあるが、このような淡々としたフィルをたたくドラマーはプロの世界でも多い。)
これらのことが、フロントマンの3人にはストレスだったのではないだろうか。
反対にリンゴのプレーは前ノリだ。
そのビートは情熱的でフィルインも熱い。
この部分でジョン、ポール、ジョージとの波長があったのだと思う。
ビートルズ解雇
そして1962年8月。
マネージャーのブライアン・エプスタインに事務所に呼び出され、解雇が告げられる。
ピートの解雇を知ったファンたちは、一部デモを行ったり、ちょっとした暴動を起こした。
当時ビートルズが演奏していたキャバーンクラブでも騒動が起こり、運悪くタチの悪いファンに顔を殴られたジョージは目の周りに青アザを作っていた。
当時のレコーディング風景に、騒動直後と思われるジョージのワンショットがある。
ピートのビートルズ解雇理由については、メンバーからは少しではるがコメントが残っている。
それは、どれも好意的なものではない。
ただ唯一ジョージ・ハリスンだけはピートのことを気にかけていたようだ。
ジョージ自身、ずっとこの解雇のことを「謝りたい」と思っていた。
ジョージは、ジョンやポールにピートを辞めさせようと話をしていたようで、自分がきっかけでピートがビートルズをやめることになったと後悔をしていたのだ、
1998年、実際にリヴァプールでジョージはピートと再会を果たし、ビートルズ時代のことを懐かしく語りあったという。
それ以外のメンバーは、今現在もピートとは再会していない。
もちろん、ジョンは1980年に他界しているので再会は無理だが。
ピート・ベストのその後
ビートルズを解雇された後も、ピートはバンド活動をつづけ、ピート・ベスト・アンド・ジ・オールスターズで、1964年デッカレコードよりアルバムリリース。
その後ピート・ベスト・フォーとバンド名を変えながら演奏を続けたが、1967年に引退。
そして市役所職員として勤務することになる。
その後、1988年に早期退職して再びピート・ベスト・バンドを結成。
1995年、2013年には日本公演も行っている。
アルバムも何枚がリリースされている。
その中のCasbah Coffee Clubのジャケットではクオリーメン時代と思われるポールとジョンの写っている有名なワンショットがアルバムジャケットに使用されている。
この写真使用意図は、本人しかわからないとは思うが、少しでも注目を浴びて、セールスを上げたい目論見と感じるのはわたしだけだろうか。
リンゴスターのドラミングについてはこちらで解説しています。