ビートルズ来日!滞在期間のスケッチとエピソードまとめ!

目次

1966年6月、ビートルズ来日!

1966年6月29日、ビートルズは来日を果たした。
6月24日から26日のドイツ公演の後、27日に一度ロンドンにもどり、JAL412便(松島)に乗り換えアンカレッジ経由で日本に向かった。

当初は6月28日午後5時頃の到着予定が、台風4号の影響でアンカレッジで待機。
遅れること約10時間。
6月29日午前3時40分、ビートルズは羽田空港に降り立った。

客室乗務員からのリクエストで法被をまとって、ポール・マッカートニーを先頭にタラップを降りた。

空港からは国賓級の扱いで、メンバーそれぞれがリムジンに乗車。
パトカー先導で宿泊先のヒルトンホテルに向かった。
宿泊した部屋はプレジデンシャル・スィート1005号室。

ビートルズはヒルトンホテル到着後短い睡眠をとり、午後3時30分から「紅真珠の間」で記者会見を行う。
そして、午後6時30分過ぎには初公演のために武道館に向かう

この模様は、当時の人気番組「スター千一夜」で放送された。
BGMは確か「ミスタームーンライト」だった。
なぜミスタームーンライトが選曲されたのだろうか?

カバー曲でもあるし、来日の抑揚感で選ぶなら他にも選曲すべき曲があったと思う。
僕がフジテレビの番組ディレクターだったらNGにした。

ビートルズ日本公演in武道館

ザ・ビートルズ・アンソロジーの映像の中で、武道館での日本公演のことを振り返るシーンがある。
ジョージ・ハリスンの回想によると、
「ホテルのドアに待機、何時何分。」
「エレベーター、何時何分到着。」
「車に乗車、何時何分。」
などと、分刻みでスケジュールが決められていたようだ。

しかし、それをビートルズのメンバーはわざと部屋を出る時間を遅らせては、担当者を困れせていたらしい。
この辺りは、まさにビートルズだ。

ジュージは面白おかしく振り返っているが、とても日本人らしいスケジュール管理だと思う。
分刻みで正確なJRの列車時刻みたいに。

当然警察による警備も厳しかったようだ。
ポールはホテルの窓から見える警官の拳銃を見て、次のアルバムタイトル「リボルバー」を思いついた。

ビートルス日本公演がオンエアー!

ビートルズの日本公演は6月30日から7月2日までの間に5回行われている。

そのうち、6月30日と7月1日(昼の部)の2回、VTR収録されている。

7月1日収録された映像はその夜9時から日本テレビでオンエアーされた。
視聴率は関東方面で59.8%。
その後、1978年に6月30日のバージョンがオンエアーされている。

また、1980年代にも6月30日バージョンを当時の映像技術で美しくリメイクしたバージョンが放送された。
この時の司会は山口美江さんだった。

6月30日の公演は、マイクやアンプトラブルもあり、演奏としてはあまり良くなかった。

それに比較すると7月1日の演奏は格段に良くなっている。
しかし、のちにリリースされている日本公演の映像は6月30日のバージョンだ。

ビートルズ日本公演セットリスト

もうお馴染みではあるが、一応セットリストを。

  1. ロックン・ロール・ミュージック
  2. シーズ・ア・ウーマン
  3. 恋をするなら
  4. デイ・トリッパー
  5. ベイビーズ・イン・ブラック
  6. アイ・フィール・ファイン
  7. イエスタデイ
  8. アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
  9. ひとりぼっちのあいつ
  10. ペイパーバック・ライター
  11. アイム・ダウン

ビートルズ日本公演の前座

ビートルズの公演は、演奏時間がだいたい30分程度。
これはマネージャーのブライアン・エプスタインが決めたものだ。

そのため、ビートルズの公演には必ずいくつかの前座による演奏があった。

日本公演の前座は、

  • 尾藤イサオ&内田裕也
  • ジャッキー吉川とブルーコメッツ
  • ブルージンズ(寺内タケシ不在!)
  • ドリフターズ
  • 望月浩

大変豪華なメンバーによるオープニングアクトであるがノーギャラだったらしい。

尾藤イサオと内田裕也のデュオによる「ウェル・カム・ザ・ビートルズ」はかっこいい。
当時の彼らの人気だけではなく、実力がうかがい知れる。

武道館の舞台裏でのエピソード

また、トリフターズのいかりや長介氏によると、舞台裏でビートルズの誰かと接触したらしい。

いかりや氏によると、
「接触したのが誰かは覚えていない。」
という。

メンバーの誰かの楽器といかりや氏のベースがぶつかったようで、それに対して挨拶はなかったようだ。
これに対していかりや氏は、
「俺のベースに何しやがる!」
と思ったそうだ。

いかりや氏のベースは、おそらくフェンダーのジャズベース。
当然ながら1966年以前のモデルだ。
今現在の時点から言えば、レアで高価なモデルある。
現存しているなら、相当な値段がつくと思われる。

ポールはバランスの悪いバイオリンベースを手にしているため、常に片手でネックを持って動くので、誰かと衝突することは考えにくい。

おそらく、ストラップでギター(エピフォンン)をぶら下げたまま動けるジョンかジョージではないかと推測する。

当時ポール・マッカートニーと言えばヘフナーのバイオリンベースが普通にイメージできるが、日本公演の時にはサブとして楽屋にはリッケンバッカー4001が待機していた。

また、ポールはジョンやジョージと同時期にエピフォンを所有していて、最近の日本公演でペイパーバックライターを演奏する時はエピフォンに持ち替えている。

そして、日本公演を回想するようなMCを毎回いれている。

日本公演をリアルタイムでとらえた写真集

ビートルズの日本での滞在をリアルタイムでまとめた写真集がある。
それが「ビートルズ東京〜100時間のロマン」。

当時はまだ無名だった浅井慎平がカメラマンと起用されている。
浅井氏によると、
「当時はビートルズの写真なんて撮りたい思う人がいなかった。だから僕に回ってきた。」
と語ってはいるが、のちに彼の出世作となった。

羽田到着からヒルトンホテルでの滞在中のカット、ライブはもちろん日本を離れる瞬間までのシーンがとらえられている。

ジョンが下着姿でホテルの廊下を歩くカットもあり、その赤いブリーフが当時の男性には衝撃だったようだ。

またビートルズの日本公演には名古屋の放送局、中部日本放送が主催に名を連ねている。
今考えると、
「なぜ名古屋の放送局が主催に?」
と考えてしまうが、当時の中部日本放送は世界的な大物アーティストの招聘に実績があったらしい。

この写真集のカメラマンも名古屋(中区大須)出身のカメラマン、浅井慎平。
偶然ではあるけれど、「名古屋つながり」というのが名古屋人としてはうれしかったりする。
(管理人は名古屋在住です。)

写真集の印刷も中部日本放送のすぐ近くにある中日本印刷で刷られている。

日本公演終了、そしてフィリピンへ

7月3日の朝。
ビートルズは羽田空港から次の公演地、悪夢であり、最悪の公演となったフィリピンへ向かった。

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