中学校でビートルズにはまった。
はじめは、その音楽に魅せられてビートルズに引き込まれた。
他にも、ビートルズの洗礼を受けた人は、ビートルズから派生する様々な文化にも傾倒したと思います。
そんな中で、私がビートルズから影響を受けたものを紹介します。
目次
ビートルズのファッション
1966年まで続いたツアーでのステージ衣装は特に惹きつけられた。
1963年、64年ころによくステージ衣装として着られていたスーツ。
襟なしのジャケット。
三つボタンのジャケット。
ビートルズというモデルが素晴らしいいから余計にカッコよかった。
詰襟学生服の2段目のボタンまで外し、詰襟から内側に曲げて襟なしジャケット気分で下校したりしていた。
今、その光景を思い浮かべれば滑稽なんだけど。
3つボタンのスーツは今でもカッコいいと思うし、基本的に自分で期待スーツだ。
僕の20代の頃は、日本では3つボタンのスーツはほとんどなくて、古着屋で必死になって探した。
既製品で「キャバーン」というメーカーからブラックの3つボタンスーツが売られていたけど、かなりスリムなシルエットで、少し大柄の僕にはタイトすぎた。
オフステージのファッションもカッコよかった。
僕は特にポールのファッションが好きだった。
ビートルズのギターに魅せられて
そして次に影響を受けたのがギターだ。
はじめて手にしたギターは普通のフォークギター。
モーリスだった。
はじめからエレキギターが欲しかったけど、基本はフォークギターではじめたほうがいいと思ったからだ。
高校生になってから、いよいよエレキギター欲しくて仕方なくなった。
候補は当然ビートルズが使っていたギター。
リッケンバッカーだ。
しかし高校生の僕にはリッケンバッカーを買えるお金などない。
当時は日本の楽器メーカー「グレコ」や「アリアプロ2」からリッケンバッカーのコピーモデルがリリースされていて、毎日毎日それを見ながら、どのタイプのリッケンバッカーにしようか思案にくれていた。
ジョンの使っていた325モデルか。
ジョージの使っていた330タイプか。
色はどうしようか。
カタログを見ながら、毎日毎晩、決定的な決断ができないまま過ぎていった。
だけど、この時間がとても楽しかったのも事実である。
リッケンバッカーの魅力についてはこちらで書いています。
【必見】リッケンバッカーの魅力!そのサウンドとルックスに憧れて
楽器屋さんに通う日々
僕の住んでいた近くの街に、YAMAHAの楽器店があった。
当時としては大きな規模のショップで、リッケンバッカーをはじめフェンダーやギブソンなど、当時の僕からは垂涎の的だった。
よくそこへ通っては、いろんなギターを見て回っていた。
1回あたり、1時間以上はそこにいたと思う。
カタログで見た実際のギターを見て、そこでまた思案にくれるのだった。
「グレコ」や「アリアプロ2」のリッケンバッカーのコピーモデルの他に、当時日本生産のエピフォン・カジノがあった。
エピフォン・カジノはビートルズが1966年のツアーで使用したギターで、ポールも所有していたギターだ。
映画レット・イット・ビーではジョンが塗装を剥がして、ナチュラルトップで使っていた。
もちろんビートルズが使用していたエピフォンはUSAだ。
だけど、この日本製エピフォンはコピーモデルではない、本物のエピフォンだ。
これは非常に重要なポイントだった。
ただ1点迷うところがあった。
それはハイポジションの使いづらさだ。
エレキギターの多くは、リードギターのソロワークのため、ハイポジション22フレットまでは弾けるようになっている。
しかしエピフォン・カジノは16フレットでボディと接続されているため、ハイポジションが弾きづらいのだ。
ギタリストを目指していた当時としては、この点が問題だった。
そして最終的に手に入れたギター
散々ビートルズの使用していたギターで悩み続けていたけれど、ある夏の日、レッドツェッペリンの映画「永久の詩」を観て全てが変わってしまった。
この事件についてはこちらで書いています。
その映画を観て、一瞬でジミー・ペイジに憧れてしまったのだ。
それからは、当然選択されるギータは。ギブソンのレスポールだった。
もちろん、ギブソンのレスポールなど買えるわけがない。
「グレコ」か「アリアプロ2」のレスポールコピーモデルから選ぶことになる。
レスポールは当時も人気のギターで、そのコピーモデルの種類、スタンダード、カスタムなどいろいろ揃っていた。
価格帯も2、3万円くらいから10万以上のモデルがあった。
結局僕は、グレコのEGー800というモデルを買った。
レッドサンバーストだった。
散々と悩んだ挙句、最終的にはあっさりとレスポールタイプで決まってしまった。
ただ、今では、「エピフォン・カジノにしておけばよかったかな。」と思っている。
それは、歳をとるほどビートルギアに憧れが深まってきているから。
その後しばらくは、ジミー・ペイジのフレーズを一生懸命練習していたけど、ある日、友人からの誘いで僕の人生のすべてが変わることになった。
「ロックバンドのドラマーとなり人生が変わる?」に続く・・・。