大学卒業後、就職して社会人となることをやめ、バンドで人生を生きていく決意をした。
大学4年の春に、就職活動をはじめたものの、
「なぜ大学を卒業したら就職なのか?」
「なぜやりたいことがあるのに、あきらめないといけないのか?」
そんな疑問が頭から離れず、解決ができなかった。
自分は音楽が好きだし、バンドが好き。
ドラムを叩いていることが好き。
だったらこの道で行きたい!
素直にそう思っただけだった。
目次
レコードデビュー?!
23歳の春、1年前に脱退したバンドに復帰。
バンドを辞めた時はいろいろあったものの、メンバーはあたたかく迎え入れてくれた。
「雨降って地固まる」
ではないけれど、1年前とは違った雰囲気でリハも楽しかった。
以前よりも、3人で飲みに行く機会も増えてバンドのコミュニケーションも良好。
復帰後すぐにテレビ出演もあり、再スタートは上々だった。
そして次にレコード発売の話が舞い込んできた。
オムニバスアルバムの企画だった。
当時、全国的にはヘビーメタルのムーブメントがピークで、その次にはビートバンドがトレンドになる兆しがあった。
その前兆を見逃さずに出演していた名古屋のライブハウスELLが企画した。
僕たちの他に4バンド、計5バンドが収録されたアルバムから、実際に1バンドがメジャーデビューを果たしている。
発見も多かった初レコーディング!
オムニバスアルバムには各バンド、2曲ずつが収録された。
僕たちは、楽曲的に最も自信のある2曲を選んだ。
はじめてのレコーディングで、最初はすごく緊張したことを覚えている。
しかし、少しリハーサルをすることで緊張はなくなり、いつものように演奏を楽しんだ。
プレイバックを聞いた時、初めて客観的に自分のプレイを耳にして、
「こんな感じなの?」
と違和感を覚えた。
自分が叩いているイメージと、客観的に聞く印象は違っていた。
印象は違うものの、
「まあこんなもんか」
と納得するしかなかったけど。
今後の課題が見つかったということだ。
バンド全体の演奏にはほぼ満足だったが、やはり課題を残した部分がある。
この課題が見つかったことは、自分のプレイやバンドの演奏力を向上させるために有意義だった。
アルバムリリース!そして発売ライブ!
オムニバスアルバムがレコードとして完成して、まずは知人たちに買ってもらうことからスタートした。
イギリス方面では「インディーズ」はポピュラーな存在となっていたけど、日本ではまだマイナーな時代だった。
どのような流通方法がとられたのかは覚えていないけど、まずは手売りが基本。
確か、1バンド20から30枚のノルマがあったように記憶している。
月例のライブも手売りが基本だったけど、このオムニバスアルバムは売りやすかった。
そしてアルバム発売ライブも企画されていた。
普段は当然ELLでの演奏だけど、今回は5バンドが出演するので少し大き目のホールが選ばれた。
音響もよく、500から600人は収容できるホールで演奏していても気持ちが良かった。
一緒に出演するバンドのメンバーもよく知っている仲間たちだから、楽屋でも盛り上がっていた。
初のドレッシングルームに興奮!
そして楽屋でにも感動した。
楽屋というか、正確にはドレッシングルームかな。
1バンドに1楽屋が割り当てられていたことだ。
これには本当に感動した。
いつも演奏しているELLは当時、楽屋は存在しなかった。
キッチンスペースからステージまでの細い通路が楽屋代わりだった。
窮屈な状態で着替えて、出番待ちをしていた。
それが、自分たちだけに楽屋が用意されているのだ。
それも綺麗な部屋だ。
洗面もある。
大きな鏡もある。
ソファーこそなかったけど、十分くつろげる椅子もあった。
一瞬にしてメジャーバンドになったように錯覚した。
いつもと違う広いステージ!ちょっとした違和感も
肝心な演奏のほうだけど、ステージが広く、メンバーとの距離が遠いことがちょっとした違和感だった。
当然モニター環境も整っているので、耳に入るメンバーの音は問題ないけど、普段のライブハウスとは距離感が違うことが少し不安に思った。
だけどそれも、最初だけですぐに演奏に集中できたし、何よりも目の前に見えるお客さんの数がいつもより何倍も多いことが気持ちを高ぶらせた。
そんな感じでライブも終了。
そして、普段ならライブ終了後、外で待っているファンの人たちと話をすることが普通だったけど、この日はそれが一切禁止されていた。
なぜそうなったのか、まあり覚えていなけど、外で出待ちしているファンとだらだらと話さず、もっとプロ意識を持てということだったのかもしれない。
しかし僕は、こっそり楽屋を抜け出して、当時付き合っていた彼女とほとんど会話のない2、3分のデートを楽しんだっけ。
驚愕のアルバムプロモーション!
オムニバスアルバムの売れ行きは、僕たちには全くわからなかった。
ただバンドノルマ×5バンド分。150枚くらいは売れていたのかな。
そして、このアルバムの最大のプロモーションとなる、当時日本のロックシーン(まだニューミュージックと呼ばれていたかな?)を牽引する大物アーティストのラジオ番組でオンエアーされることになった!
そのアーティストとラジオ番組とは?!
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