高校2年生からドラムをはじめ、バンド活動も開始。
高校3年生は受験ということもあり、学園祭で演奏した程度。
浪人生活もあり、ドラムを叩かない日々が続いていった。
一浪を経て、ようやく大学生活がはじまった。
高校時代の音楽仲間の多くはストレートで大学へ入り、先に大学生活を楽しんでいた。
目次
トリオバンド結成!
ほとんどの仲間は音楽系のサークルに入部していた。
一年遅れで入った僕も、友人がいたサークルに入部した。
先輩(同い年だけど)と一緒にバンドを組んだりして楽しんでいたけど、入部早々の6月に退部。
ただサークルのメンバーとは付き合いも続き、同じ1年生の仲間と3人でバンドを組んだ。
トリオバンドだ。
ロックバンドでは最小人数の構成。
スリーピースとも言われる。
高校3年生の頃にセックスピストルズが現れ、ロック好きの若者たちはパンクの洗礼を受けた。
それから少し時間は経っていたけれど、まだパンクの流れを受けるバンドが活躍していて、そんなバンドに僕たちは影響を受け続けた。
セックスピストルズは活動期間が短かったけど、クラッシュやジャム、ダムドなどはリアルタイムで聴けたし、アメリカからもラモーンズやニューヨークドールズが盛り上がっていた。
ビートバンドでElectric Lady Landを目指す!
新しく組んだトリオバンドはオリジナルナンバーを書き演奏した。
どちらかと言えば、パンク系に影響を受けたビートバンドだった。
当然メジャーを意識していた。
目標は地元名古屋のライブハウス、ELL。
Electric Lady Landだ。
演奏力がなければ出演できないライブハウスだったので、敷居は高く感じていたけれどメジャーを目指すなら、通らなければならない場所だった。
週2回か3回の練習と、年一度の合宿をしながら少しずつ演奏力はついてきたかな?と感じていた。
まあ、振り返ればひどいもんだけど。
結成から1年半くらいたったころ、Electric Lady Landのオープンリハーサルに出るチャンスがやってきた。
オープンリハーサルとは、簡単に言えば出演のための試験だ。
その日、対バンしたバンドの演奏力が素晴らしく、またお客さんも動員していて異常に盛り上がっていた。
もう完全に圧倒された感じで落ち込んでしまった。
自分たちの演奏がまだまだ未熟だということも痛感して、今回は見送りだと思っていた。
しかし。
なんと合格してしまった!
びっくりした。
受かるわけがないと思い込んでいたから。
まあ最低合格ラインというところだろう。
それでもELLに出演することができるのだ!
最初の目標を達成することができた。
スケジュール会議で萎縮
ELLでは当時出演するバンドが1ヶ月に1度集合する「スケジュール会議」というのがあった。
3ヶ月後くらいの出演予定を決めるのだ。
そこで目にするバンドマンたちは、錚錚たるメンバー。
100人、200人は動員してしまうバンドが多く、僕たちから見たら憧れの人たちばかりだ。
そんな人たちは、業界用語を使いながら楽しげにおしゃべりをしていた。
羨望の眼差しで彼らを見ながら、僕たちは隅っこで小さくなっているしかなかった。
スケジュールは動員力のあるバンドが優先で土日を押さえていった。
僕たちは最後に空いているところに入れてもらうという感じ。
それでも一応ELLの出演バンドとしてスケジュール表に載るのだ。
ちょっとだけ出世した感じがした。
あの頃は音楽雑誌「プレイヤー」にも全国のライブハウススケジュールの中にELLは入っていた。
お客が入らないライブを繰り返しながら
一番最初のライブは40人くらいだった。
当時は少ないと思ったけど、今思えばまあまあだ。
チケットを自分たちで売りさばいた訳でもないのに、それくらい入れば最初にしては上出来だ。
演奏は最低だったと記憶しているけど。
ただ、その後しばらくは、平均では20人から30人くらいだったと思う。
当時の名古屋にはローカルなカルチャー雑誌がいくつかあって、それらの雑誌が地元で頑張るバンドを取り上げてくれたから、興味のある人は雑誌を見てライブに来てくれる人も多かった。
そんなこともあり、月1回のライブを重ねながら少しずつお客さんも増えていった。
月ごとにムラはあったけど。
一番動員できたのは140人くらいだった。
これくらいお客さんが入ると、人前で演奏しているという実感と興奮があった。
だけど動員はそれがピーク。
バンド仲間が東京方面のライブハウス、渋谷エッグマンなどにブッキングが決まる中、僕たちは演奏力不足で名古屋から出ることができなかった。
大学4年で転機を迎える
そして僕も大学4年生となり、就職活動の時期になった。
バンドを継続するか。
就職活動をして社会人になるか。
選択の時期に来ていたのだ。
ちょうどその頃、ぼくはバンドにストレスを感じていた。
だから就職活動が本格的になる前に、バンドを去ることに決めた。
未練はあったけど、ストレスを感じながら、自分に嘘をつきながら継続するのはバンドのために良くない。
メンバーにも失礼だ。
だから辞めた。
しかし、その半年後。
僕の運命を変える大きな出来事が起きたのだ。